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子どもたちへの想い

ある日のこと・・・

子どもたちの甲高い歓声がキャーキャーと園庭に響き渡っています。

たくさんの子どもたちが裸足で走り回ったり、遊具を登ったり降りたり、滑ったりと精一杯に動き回っています。

子どもたちたちが駆け寄ってきて、思いっきりの笑顔で「おっちゃん、見て!」手のひら一杯のガンバリ豆を誇らしげに見せてくれます。

子どもたちは夢中になって遊び、そこから生きる為の多くの知恵を得るものです。

また、子どもたちにとっておもしろい遊びには少し危険が伴うものです。

私が、設計した園舎には、少し危険な遊具があります。

しかしながら多くの公園や保育園などの施設では子どもが少しでも

遊具で怪我をすると、その遊具は取り払われてしまします。

このように、現在、子どもたちをとりまく環境は、子どもたちが正しく成育する条件としては、非常に貧しいと私は考えています。

子どもたちの環境の変化

まず、家庭環境です。父親の存在が、家庭のボスとしての立場が希薄になっています。

父親は子どもとの関係において、強い偉い存在ではなく、対等で友達のような関係になってしまっています。

この状態では、子ども自身が危険からいつも強いボスに護られているという安心感を得られません。

昨今、数を増している母子家庭においては云うに及びません。

また、乳児にとって、母親は唯一無二の存在であって、いつも傍に寄り添ってくれる人です。

本来、引き裂かれることは考えられません。しかし、社会の事情、家庭の事情で保育園に預けられます。

子どもたちには大きなストレスがかかり、安堵し、癒された状態ではありません。

かつて、子どもたちは天からの授かりものとして大事にされました。

しかし、今は作られるものに成り下がり、大人の都合によって左右されています。

親として立派に育て上げなければならないという使命が欠如しているように感じられます。

次に社会環境です。かつて、子どもの遊び場は空き地であり野原であり路上でありました。

日が暮れるまで路上で子どもたちが遊んでいたものです。路上は子どもの声が響く空間でありました。

そこには、自然のこと、危険を回避する知恵、対人関係、いろいろなことが学べる空間がありました。

しかし、今は全て子どもから取り上げています。

このように家庭環境、社会環境、自然環境は云うまでもなく、子どもたちの環境は厳しく貧しいものであります。

このような環境を創りだしたのはまぎれもなく私たちであります。

私は現代の子どもたちに対して申し訳ない思いでいっぱいです。

子どもたちを取り巻く価値観の変化

今、世界を支配している価値あるものとしての価値観は経済性、合理性、機能性、そして、個人主義を主体とする"近代合理主義"であります。

日本も早々とこの思想を受け入れて約150年、特に戦後はこの思想の信奉者になって今日にいたっています。

この思想を受け入れることによって多くの目覚ましい発展進歩がなされ、人類が恩恵を受け続けていることには間違いありません。

しかしながら、地球規模の環境破壊をはじめ、多くのひずみと取り返しのつかない負の資産が次々に生み出されています。

さらに、個人主義が蔓延し、子どもの世界まで侵しつつあります。

生きるために大切なもの

人が人として生きるために大切なものが二つあります。

ひとつは、考えて判断する力『理性』です。

人はそれぞれに理性によって価値観を持ち、その価値観、すなわち思考の枠組みで物事の正非、善悪、行動規範などを判断すると言われています。

この『理性』は、人間が生きて行く上で大切で、身につけなくてはならないものです。厳しさでもあります。

もう一つは、感じる力『感性』です。

自分以外の見えないものを感じる力です。

たとえば、人の心を感じる優しさです。

「優しくなければ、生きる資格がない」と言った人がいますが、この二つのことを幼児がから身につけてもらいたいと私は思っています。

この『理性』と『感性』の会得には、建築環境を通じて適切に五感を刺激することが、多大な影響を与えると私は考えます。

たとえば、光と影、日本文化としての陰翳礼賛(いんえいらいさん)があります。

多くの人は「明るい部屋にしてほしい」と、窓を大きくし、明るさを望みます。

ところが、窓に対する壁があることによって、暗さや影ができ、明るさや光をより感じる事が出来ます。

また、窓は外部から視覚や音によって多くの情報が入ってきます。つまり騒がしくて、うるさい存在ともいえます。

それに対し、壁はそれらを遮断し、守るものです。よって身が護られ、安心できる存在になります。

物事を考えたり、落ち着いたりするたえには大切なものです。

窓と壁は「饒舌と沈黙」とも言えます。

今こそ、子どもたちに本物を!

今、巷には本物に似せた素材があふれています。

建築資材も例外ではありません。中には本物より『綺麗』で強くて、経済性に優れたものもあります。

しかしながら、子どもたちの施設だからこそ本物にこだわる必要があります。

そこには合理性や機能性ではない見えない力があるものです。

正直なものといえます。

先に『綺麗』ということばを使いましたが、同じようなことばで『美しい』があります。

本物はそれを手入れすることによって時と共に美しさが増します。

偽物はできた時が綺麗であって、その後だんだんと廃れます。この違いが大切です。

私は『子どもたちに木のぬくもりを』と働きかけてきました。日本の文化の基でもあります。

木は目にやさしく、木は柔らかい心地よい音を響かせます。

安らぎを与える香と肌触りは、しっとりとし、落ち着きをもたらしてくれます。

優しく豊かな空間を創り出す優れた素材として用いています。

これらのことは、私が子どもの施設を設計する時に重きを置いた一部であります。

合理性や機能性、経済性の近代合理主義では片付けられない大切なものに重きを置いて、これからも設計に取り組んで参ります。

株式会社C・E・M椎原総合設計
代表取締役 椎原 毅

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